いわゆる首相撲は以前から禁止だったK-1。
最近では、ちょとした掴みも反則を取られるようになった。
武蔵VSティシェイラ
アーツVSシュルト
などなど
確かにKOは増えたかもしれない
でも、これがK-1の醍醐味なのだろうか。
倒し合いは、刺激はあるが慣れてくれば飽きてしまうもの。
よりKOが生まれやすい状況を作るようなルールばかり採用されてしまうのでは?
技のバリエーションがどんどん狭まっている気がする。
結局K-1が16年の歳月をかけながらも
観客の育成、高度な技術を見る楽しさを伝えて来れなかったことが
一番の原因ではなかろうか。
2008年12月3日水曜日
村浜武洋
90年代後半の村浜は本当に輝いていたと思う。
早い手数と軽快なフットワーク、尽きないスタミナで、相手に反撃を許さないスタイルは
同階級の日本人でまさに最強であった。
その勇気のあるファイトでチャモアペットと戦う姿を生で見たとき
決して有利な展開は作れなかったが、その勇気に感動した(結果は判定2-1でチャモアペット勝利)
それが21世に入って迷走してしまう。
プロレスをやり、階級で明らかに厳しいMAXで戦うも
無残なKO負けも多かった。90年代の輝きを知っている人間には大変辛かった。
ようやく良いニュースは
2007年村浜がSBのリングに上がったこと。
受け入れたシーザー会長の男気に乾杯!
早い手数と軽快なフットワーク、尽きないスタミナで、相手に反撃を許さないスタイルは
同階級の日本人でまさに最強であった。
その勇気のあるファイトでチャモアペットと戦う姿を生で見たとき
決して有利な展開は作れなかったが、その勇気に感動した(結果は判定2-1でチャモアペット勝利)
それが21世に入って迷走してしまう。
プロレスをやり、階級で明らかに厳しいMAXで戦うも
無残なKO負けも多かった。90年代の輝きを知っている人間には大変辛かった。
ようやく良いニュースは
2007年村浜がSBのリングに上がったこと。
受け入れたシーザー会長の男気に乾杯!
2008年12月2日火曜日
2008年12月1日月曜日
アタチャイ・フェアテックス
昔の憧れがチャモアペットだとすると
今はアタチャイが憧れのムエタイ選手。
決して身長が高いわけでもリーチが長い訳でもないが
眼が凄く良い。
日本人の攻撃でクリーンヒットを受けたことは無いのでは。
あの桜井洋平をボコボコにした試合は、
ムエタイとキックボクシングの差を痛感させるものだった。
また日本で試合をしないかなあ。
一度生で見てみたい選手だ。
2008年11月30日日曜日
チャンプア・ゲッソンリット
左ミドルと左ストレートを得意とした(というかこれしか使わなかった)
ムエタイ ミドル級の選手
今であればK-1MAXで活躍していただろうに、
その当時この階級が盛り上がっていなかった為
必然的にライトヘビー、ヘビー級の選手と戦わざるをえなかったのは
悲運としかいいようがない。
特にブランコ・シカティック(K-1初代王者)と果敢に戦い、
当時はライトヘビー級の選手だったアーネストホースと戦い壮絶なKO負けをしたシーンは
印象深い。
自分の身を守ることを出来ず
ひたすら不利な相手と戦わされたチャンプア
当時K-1を見ていた人たちは皆あなたが好きだったと思います。
ムエタイ ミドル級の選手
今であればK-1MAXで活躍していただろうに、
その当時この階級が盛り上がっていなかった為
必然的にライトヘビー、ヘビー級の選手と戦わざるをえなかったのは
悲運としかいいようがない。
特にブランコ・シカティック(K-1初代王者)と果敢に戦い、
当時はライトヘビー級の選手だったアーネストホースと戦い壮絶なKO負けをしたシーンは
印象深い。
自分の身を守ることを出来ず
ひたすら不利な相手と戦わされたチャンプア
当時K-1を見ていた人たちは皆あなたが好きだったと思います。
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